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相原勇の現在 曙との破局後 バツイチを経て一般男性とハワイで幸せ!

こんにちは、モラトリアム中のシオンです。
TBS「今夜解禁!ザ・因縁」で曙と20年ぶりに再会を果たす相原勇さん。

アイドル歌手として80年〜90年代にかけてブレイク。
また、89年スタート「平成名物TV」>「いかすバンド天国(通称:イカ天)」で
三宅裕司と共に司会を務めるなどバラエティー番組やドラマにも多数出演し、
多方面で活躍していた方です。

一方、プライベートでは横綱の曙との破局報道が大々的に報じられ、
その後日本を飛び出し単身アメリカに渡り、バツイチを経験したという
激動の人生を送っています。

そんな彼女の生き様がめっちゃきになる〜!ということで
今日は、そんな相原勇さんについてデビューのきっかけから現在まで、
そして今後の夢についてお送りしていきたいと思います。


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デビューからブレイクするまで



相原勇さんとは?
本名 小原 靖子
出身 広島県
生年月日 1967年4月1日(49歳)
身長 156 cm
血液型 A型

芸名の由来
「『相』には“私=I”と“”をいっぱい込め
『勇』は男子にも女子にも通用する名前で

あなた=YOU”、自分に勇気を奮い立たせて励ます
IとYOUを両方入れて“自分は一人じゃない”

という意味を込めたそうです。

経歴
1984年 第9回ホリプロタレントスカウトキャラバンに応募。
中国・四国地区代表として応募総数12万人の中から決勝まで残る(当時高校生)
1985年 「第1回ミス・モモコクラブ」で見事準優勝をし、
芸能プロダクション原プランニングにスカウトされる。
この時、おニャン子クラブへの合格が決まっていたが、
「専属のレコード会社、雑誌も全て決まっているから仕事の幅が狭くなってしまう」
という事務所の判断でおニャン子クラブへの加入を辞退し、
ソロデビューを果たす
1986年 「ちょっとHENSHIN」(秋元康のプロデュースで、
当時秋元が手掛けていたおニャン子クラブの
「おっとCHIKAN!」に見せかけた企画モノ)
という曲でアイドル歌手として念願の芸能界デビューを果たす。
1989年 TBS『平成名物TV』>「三宅裕司のいかすバンド天国」
(通称「イカ天」)の司会者に抜擢される。
1990年 映画『香港パラダイス』に、女優として出演。また、
フジテレビ月9ドラマ『すてきな片想い』に出演。
歌手としてシングル「ボクはパワー」をリリース。
文化放送のラジオ番組『相原勇のBEBOP YOU』に出演する他、
CM出演や番組司会でも活躍。
1993年〜1995年 3年連続で、芸能界に入るきっかけとなった
ミュージカル『ピーター・パン』で主役のピーター・パンに抜擢。

ピーターパンを演じるのが夢だった

生まれて初めて見たミュージカルが「ピーターパン」だったんです。
それまではミュージカ ルって何?っていう感じでしたが、
見た瞬間に身体中に衝撃が走って、涙が溢れ出てきて─、
そのときに「私は絶対、ピーターパンになる!」って決めたんです。


と語るように、実はアイドルではなくピーターパンになりたかった相原勇さん。
東京に行く必要があると思い、その目的のためには手段を選ぶ時間はないと
考えていたようです。


おニャン子クラブ以外のソロ歌手は売れない・・・どうしよう
今になって考えれば、当時の事 務所は経営が危ないことが分かっていたからこそ
確実な契約金を得るために、私にソロデビューの道を薦めたのでしょうね。





と語るように、実は事務所の生き残り策に巻き込まれてしまった相原勇さん。
確実性があって、契約金も高い、ソロデビューの道を勧められおニャン子クラブへの
道を絶ったが、その後におニャン子クラブが大ブームに。
その間、相原勇さんは一年間レッスンやオーディションでスタートが遅れてしまう。
スタートしたと思いきや、おニャン子クラブがソロデビューした頃で、
それ以外のアイドルは売れないし、なんと事務所も倒産してしまったとか。
一瞬にして何も無くなって途方にくれたと語ります。


4年が期限だ!
「ピーターパンをやりたくて東京に行ったのに、目標は達成できていない」。
そう伝えたところ、「東京の大学に送ったと思って4年間は待つ。
でも4年経っても成功できなかったら帰ってこい」と言われたんです。


この状況を受けて相原勇さんの両親は彼女を実家に
連れ戻そうとしました。そのちょうど、4年目が
イカ天の視界に抜擢された年。
そこから徐々に多くの人に知ってもらうようになったそうです。
時代や環境にもめげず、活動を続けてきた彼女の姿勢と
ご両親の後ろ盾があったのですね。


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一方、プライベートでは?バツイチも経験?



曙との破局騒動
丁度、ピーターパンで主役を降板した頃、横綱の曙さんとの
熱愛報道がありました。しかし、翌97年には破局報道に・・・
詳しくはこちらの記事でも書いています。
結婚のためにレギュラー番組8本を降板し妻として生きる覚悟までしていた。
それなのに、横綱の代理の者に「結婚はなかったものになった」との一方的な報告を受けることに。

単身渡米とバツイチの経験
この件は世間でも話題になって、相原勇さんは精神的にやばいと感じ、
単身ニューヨークへと渡米。
そこでCS放送のリポーターを仕事にしていた彼女ですが、
アイルランド人の画商と出会い結婚したのが34歳。
その後、ミュージカルの道を目指すもチャンスをつかめず10年の月日が経ち、彼とは離婚。
そして、離婚して1年が過ぎた頃、アメリカ在住のパイロットの友人からの電話がきっかけで、
ハワイに行き現地のゴルフ場で、現在の夫と知り合います。


プライベートでも夢を叶え幸せにくらしている相原勇さん。
彼女のバイタリティはどこから溢れてくるのでしょうか。


相原勇さんの現在がきになる!



彼女を動かす原動力とは?
「人」でしょうね。私は出会いに恵まれていると思っているんです。
これまでの人生、本当に多くの方に助けられてきて、人によって生かされてきた。
自分1人では何もできなかったと思っています。


ニューヨークで9.11を体験した相原勇さん。その時に、
人を傷つけるのも人間だけど、人を癒す、人を救える、
人を元気にするのも人間なのだと、改めて実感したそうです。

一人で渡米して仕事も人脈も全てゼロスタートですよね。
そんな苦労の多い中、「捨てる勇気」を教えてもらったと言います。


渡米して得た新しい自分軸とは?
一つのことにしがみついてもしょうがない。
新しいことにチャレンジしよう。

という価値観がそこで芽生え、今はプライベートパイロットの資格取得に向け勉強中。
その他、バレエをゼロから習い始めたり、介護を学ぶようになったりとどんどん
新しいことにチャレンジを続けています。


自分がどう生きていきたいのか、
それを考え直させてくれたのがニューヨークであったと思います。



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自分のそばにいる人が、みんないつも笑顔であったらいいなって思っています。



破局報道から一転。
10年かけて自分軸が見つかった相原勇さん。
夢について聞かれるとこう答えています。

「自分のそばにいる人が、みんないつも笑顔であったらいい。
人に笑顔になってもらいたい。」

月並みですが、実は人を笑顔にするって難しい事ではないでしょうか。
彼女にとって「ありがとう」と言える人がいるという事は
誰かが隣にいてくれるという事。
そこから生まれる気持ちが感謝の気持ち。
その気持ちに、笑顔が伴って本心から感謝の気持ちが伝えられる。
それが素敵だと語ります。





破局騒動から一転し、本当に心身ともに素敵で
笑顔に満ちた相原勇さんです。

個人的には、彼女を研究していくと、
夢に向かって一直線な方であり、
夢のためなら手段を選ばない。
自分の持てる資源をとことん使って どんどんチャンスをつかんでいける人
だという印象。
そして、嫌なこと、過去に縛られないことで 新しい自分や新しい相手とも 出会っていける潔さが幸せの鍵だったのではないでしょうか。


ではこの辺で。
読んでくださってありがとうございました。



(参考 毎号経営者の生の声を発信する情報サイト ~躍進する企業の貯蔵庫~ 注目企業.COM

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